現役引退示唆。村田修一のプロ野球人生を振り返る

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村田修一は横浜や巨人でプレーしたプロ野球選手で、現在は独立リーグの栃木ゴールデンブレーブスに所属しています。現在37歳の村田は今季のNPB復帰は叶わず、現役引退を示唆しました。今回は「男・村田」の愛称で親しまれた、村田修一のプロ野球人生を振り返ります。

 

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横浜時代

日本大学で歴代2位タイの通算20本塁打を記録するなど、打撃力に優れていた村田は、2002年のドラフト会議で横浜に自由獲得枠で入団しました。

 

本職が三塁手の村田は、入団当初は二塁手として試合に出場していましたが、三塁手であった古木が外野にコンパートされたあとは、三塁手としてレギュラーに定着しました。1年目から104試合に出場し25本塁打を記録し、新人としては申し分ない活躍となりました。

 

その後も順調に結果を残していき、2007年には全試合4番でスタメン出場し、本塁打王に輝きました。翌2008年も4番打者として2年連続の本塁打王となり、球団新記録となる46本塁打を記録しました。また、打率も3割を超えるなど4番として十分な活躍を見せました。

 

巨人時代


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2011年に村田は横浜から巨人に移籍しました。主力選手と期待されていた村田は、巨人の第76代4番打者となりました。しかし、移籍1年目の2012年は打撃不振により12本塁打と精細をかき、ベストナインには選ばれたものの不甲斐ないシーズンとなりました。

 

翌2013年にはフォームの修正により打撃不振から脱却し、自己最多の164安打を記録し打率も3割をクリアしました。しかし、本塁打は25本と全盛期と比べると物足りない数字となりました。2014年からは選手会長に就任し、初の生え抜き選手以外からの選手会長となりました。

 

その後も不振に陥りながらも、バットで巨人を支え続けました。しかし、2017年シーズンは新加入のマギーにポジションを奪われ、シーズン前半は代打での出場がメインとなりました。

 

後半からはマギーがセカンドにコンバートされ、再び先発起用されるようになりましたが、この年チームの若返りを理由に、巨人から戦力外通告を言い渡されました。

 

栃木ゴールデンブレーブス時代


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NPBから声のかからなかった村田は独立リーグである、栃木ゴールデンブレーブスに入団しました。

 

7月末までのNPB復帰を目指し、シーズン序盤のケガが回復したあとは、持ち味の打撃力を見せつけました。しかし、最後まで復帰の話題が出ることはありませんでした。

 

来季以降の現役続行は難しいと述べましたが、引退を明言することはありませんでした。

 

まとめ

今季は両リーグともに補強が必要なチームが多いので、復帰が期待されましたが実現しませんでした。2000本安打まで残り135本としているだけに、あと数年頑張って欲しいので、今オフの動向にも注目が集まります。

 
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