新井貴浩引退。ファンから愛された男の野球物語

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広島東洋カープの新井貴浩は5日、マツダスタジアムで会見を開き、今季限りでの現役引退を表明しました。今回は、ファンから愛された男の20年間野球人生を紹介していきます。

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広島へ入団


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1998年ドラフト6位で広島に入団した新井でしたが、打撃、守備の両方に課題が多かった新井の獲得は、周囲を驚かせるものでした。

 

周囲の不安を裏腹に、1年目から一軍で試合に出場し7本塁打を記録すると、2年目には16本塁打と倍増し、そのパワーを見せつけました。4年目の2002年にはレギュラーとして全試合に出場し、28本塁打を放つなど強打者として成長していきました。

 

2003年からはFAで移籍した金本知憲を継いで、チームの四番打者となりましたが、極度の打撃不振に陥り四番から降格し、翌年も不振が続き規定打席にも届きませんでした。

 

2005年からは、打撃スタイルを変えたことで不振から脱却し、43本塁打で初の本塁打王を獲得しました。2006年、2007年はケースバッティングの意識により100打点を記録するなど、四番打者として飛躍していきました。

 

FAで阪神へ


出典:ウィキメディアコモンズ

 

FAを取得した新井は、FA権を行使するか残留するかで迷いながらも、環境を変えて挑戦したいという気持ちから、2007年オフにFA権を行使しました。会見では涙を流しながらカープへの愛を語り、苦渋の決断であったことを明かしました。

 

新井の中で絶対的な存在である金本が阪神にいた事から、阪神に入団しました。2008年には怪我により満足のいくシーズンとはいきませんでしたが、選手会会長に任命されました。2009年からは金本に変わって四番を任されるも、好不調の波が激しく不動の四番とはなりませんでしたが、2011年には初の打点王に輝きました。

 

2012年からは怪我が悪化したことにより、徐々に出場機会が減少していき、代打での出場が多くなってきました。出場機会を求めた新井は新天地を求め、2014年に自由契約となりました。

 

再び広島へ


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自由契約となった新井に再び声をかけたのが、古巣の広島でした。低年俸も受け入れ加入した初年度は、怪我に苦しみながらもバットでチームに貢献し、規定打席に到達し打率.275という成績を残しました。

 

移籍2年目は年俸も3倍で、背番号も当時使用していた25番となり、より活躍が求められるようになりました。それに応えるかのように新井は全盛期のような活躍をみせ、広島の25年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。

 

また、この年には2,000本安打、300本塁打を達成しリーグMVPに輝くなど、新井自身も記念尽くしのシーズンとなりました。2017年以降も出場機会が減りながらも、要所でチームを支えましたが、2018年9月5日の会見で引退を表明しました。

 

まとめ

好不調の激しい選手でしたが、常に全力プレイで多くのファンから愛されました。今季の広島もリーグ優勝に王手をかけているので、ぜひ日本一に輝き嬉し涙でユニフォームを脱いで欲しいところです。

 

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