岩瀬仁紀・荒木雅博選手など中日の黄金期を支えた選手が揃って引退表明

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中日の黄金期を支えた岩瀬仁紀投手、荒木雅博野手、浅尾拓也投手が、今季限りで引退することを発表しました。来期からはコーチとして中日の再建を目指します。今回は、中日の黄金期を支えたレジェンド3人について、紹介していきます。

 

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岩瀬仁紀投手


出典:https://msp.c.yimg.jp/

 

岩瀬投手は1998年にドラフト2位で中日に入団しました。1年目から一軍で中継ぎとして起用され、新人ながら最優秀中継ぎ投手賞を受賞しました。しかし、同期の上原浩治投手(巨人)が20勝を上げ新人王に輝いたので、新人王の受賞はなりませんでした。2004年からはチームの抑えを任されるようになり、チームの要として成長していきました。2008年には10年連続の50試合登板を達成し、絶対的信頼をかちとっていきました。2010年には250セーブを達成し、名球会入りの条件を満たしました。その後も抑えとしてチームを支え続け、2014年には日本人最多となる382セーブを達成し、2017年にも日本人最多となる950試合登板という、前人未到の記録を打ち立てていきました。

 

荒木雅博野手


出典:https://msp.c.yimg.jp/

 

荒木雅博野手は1995年のドラフト会議で、中日のハズレハズレ1位として入団しました。二軍で武器である俊足を鍛え、6年目の2001年に1番打者に定着しました。その後はリードオフマンとしてだけでなく、井端弘和野手(巨人コーチ)との二遊間コンビにより、鉄壁の守備を見せつけました。しかし、2006年から怪我や不振に苦しみ始めました。2007年には初の盗塁王を獲得したものの打撃面には課題が残り、2008年には出塁率が3割を下回りました。2010年には井端弘和野手と守備位置をコンバートし、遊撃手に挑戦しました。しかし、失策数20を記録するなど堅固な守備を見せつけれず、7年連続のゴールデングラブ賞の獲得はなりませんでした。その後も怪我や不調に悩まされながらも、球団新記録の370盗塁を記録し通算2,000本安打を達成するなど、多くの記録を樹立しました。

 

浅尾拓也投手


出典:https://msp.c.yimg.jp/

 

球界随一のイケメン投手として知られる浅尾拓也投手は、2006年のドラフト3位で中日に入団しました。2年目の2008年から、抑えの岩瀬仁紀投手への繋ぎであるセットアッパーとなり、勝ちパターンの一角としてチームの戦力となっていきました。2009年には先発として新シーズンに挑み開幕投手を務めましたが、結果を残すことができず中継ぎに再び転向となりました。2010年にはセットアッパーとして安定した成績を残し、ホールドとホールドポイントの日本記録を達成しました。また、21試合連続ホールドポイントという日本記録も、合わせて達成しました。続く2011年シーズンも79試合に登板し、防御率0.41という驚異的な記録を残しました。この年は2年連続の最優秀中継ぎ投手、ゴールデングラブ賞、リーグMVPを獲得し、まさに大車輪の活躍となりました。しかし、2012年以降は思うような成績を残すことができず、怪我もあって出場機会が減少していきました。

 

まとめ

中日の黄金期を支えた3選手の引退により、中日は若手の奮起が優勝にとって必要不可欠となりました。チーム再建のために、コーチとしてレジェンドが中日に戻ってくることを期待しましょう。

 

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